【米里・行啓通】ってどこにある?
【米里・行啓通】は「環状通」と「厚別通」との交点である札幌市白石区北郷4条1丁目から豊平川沿いを走る札幌市豊平区平岸1条2丁目の「豊平川通」までを走る道路です。
【米里・行啓通】のバーチャルドライブ
【米里・行啓通】を実際に走行したYouTubeチャンネル「のろちゃんねる」のバーチャルドライブ動画(車載動画)のリンクを張ってありますの で是非そちらと合わせてお読みいただければと思います 。
米里について
札幌市白石区の「菊水元町」より北東の「札幌JCT」周辺が「米里」です。
1条から5条までで構成されます。

実際の【米里・行啓通】の起点は「北郷」とされているけど北郷の西端に位置することから地元の人の感覚からすると隣接する「菊水元町」の方が馴染みがあるかもしれません。
行啓について
反対に「行啓」はというと少し複雑な歴史が関係してきます。
「行啓」の地名の由来は明治時代に遡ります。
皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃の外出を行啓(ぎょうけい)/巡啓(じゅんけい)というほか、行幸と併せて行幸啓(ぎょうこうけい)/巡幸啓(じゅんこうけい)という。単に「行幸啓」といった場合には、天皇と皇后が一緒に外出することを指す場合が多い。
(引用:行幸 – Wikipedia)
明治14年に明治天皇ご巡幸の際に、山鼻屯田兵村に立ち寄られ付近に育つ木に目をとめられ、樹木の名前を問われて絶賛の声を掛けられました。
この話を伝え聞いた村民は、「お声掛りの柏」と呼び、その後もこの木を大事に保存しました。
明治44年にのちの大正天皇が、札幌行啓の際に「お声掛りの柏」をご覧になることとなった為、中島遊園地から山鼻小公園への道路を拡幅・整備しました。
以後、その道路は「行啓道路」という名称になり、その後「行啓通」と呼ばれるようになりました。
「行啓通」は現在の「中島公園」の「南14条橋」から「石山通」までを指します。
【米里・行啓通】の謎と今後の展望

「行啓通」と【米里・行啓通】は重複しているってこと??


【米里・行啓通】は「幌平橋」から少しずれているので「行啓通」から繋げたいのであれば「白石中の島通」を通るのがスムーズだと僕は思うから【米里・行啓通】の終点である豊平川沿いの「豊平川通」にぶつかるのは不自然だよね…
しかも「豊平川通」の東側は南方向への一方通行だから事実上「行啓通」と【米里・行啓通】は片側しか繋がっていないんだ…

じゃぁやっぱり別の道路っていう扱いなの??

正確な資料を見つけることが出来なかったけど関連することで1つ面白いことを発見したよ!


札幌市の道路計画では南14条西1丁目付近から豊平川に橋を架けて【米里・行啓通】へとを結ぶ計画があったんだけど、その後幌平橋の拡幅改修の影響で一旦交通渋滞が解消されたことにより計画は見直されたようなんだ。

でも幌平橋はいつも混雑しているイメージが有るなぁ…


衛星写真で見てみると【米里・行啓通】の終点から「行啓通」を結ぶ橋を直線で結んだ場合、「伊夜日子神社」があって、豊平川西側もマンションが立ち並んでいるのでなかなか難しそう…ただ、地図上のピンク色のピンの1区画だけは道路も既に通っていて、まるで橋を架ける為の様な空き地になっているからもしかしたらそこに向けて橋を架ける予定なのかもしれないね!
【米里・行啓通】なぜ行啓通に繋がっていない?まとめ
【米里・行啓通】は札幌市白石区北郷と札幌市豊平区平岸を結ぶ道路です。
「豊平川」を渡った先の行啓通とは厳密には繋がっておらず、札幌市の道路計画によると【米里・行啓通】と「行啓通」を繋ぐ橋の計画はあったが、現在は着工にいたっていません。
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